アイルランド旅団の物語
フランダースとスペインでの戦争の物語
宗教的迫害の悪影響

宗教的迫害
宗派間の憎しみ、悪政、抑圧から生じる悪影響が最も顕著に表れました。

アイルランド人の離散
1世紀にわたり、アイルランドは最も優秀な兵士を輩出する一方で、最も苦々しく手ごわい敵となりました。

大陸の敵への加担
アイルランド人は祖国を離れ、イギリスの最大の大陸の敵の軍隊に加わりました。
スチュアート家支持の理由
スチュアート家への忠誠
アイルランド人がスチュアート家に忠誠を誓ったのは、単にスチュアート家の支持者だったからではありません。
カトリック教徒への抑圧
カトリック教徒に対する法律の厳しさと、その法律が執行される際の苛烈さのために、アイルランドでの生活が耐え難いものとなったからです。
アイルランドのカトリック教徒の状況
雇用の制限
アイルランドのカトリック教徒には、雇用や昇進の見込みがありませんでした。
軍隊への参加禁止
将校としても一般兵士としても、軍隊に参加することができませんでした。
土地所有の禁止
土地を所有することができませんでした。
不当な逮捕
些細で根拠のない告発によって、投獄や死刑さえも科される可能性がありました。
政治的権利の剥奪
議会への参加禁止
ダブリンの議会に議席を持つことができませんでした。
選挙権の剥奪
選挙で投票することさえできませんでした。
スチュアート家支持の理由

1

宗教の自由
宗教を公然と実践する自由を得られると信じていました。

2

平和な生活
告発や迫害から解放された平和な生活を送れると考えていました。

3

権利の回復
少なくともいくつかの権利が回復されると期待していました。
これらの理由から、アイルランド人は長年にわたってジャコバイトの大義に忠実でした。
カトリック教徒の権利回復

1

1774年
アイルランドのカトリック教徒は、王冠の臣民として資格を得ることが認められました。

2

1775年
カトリック教徒は軍隊に入隊することが許可されました。

3

それ以前
これらの権利は長年にわたって否定されていました。
アイルランド旅団の形成
1
リムリックの条約以前
アイルランド連隊がフランスに入隊していました。
2
リムリックの防衛
アイルランド軍がリムリックを防衛しました。
3
フランスへの移動
敗北後、アイルランド軍はフランスに移動しました。
4
アイルランド旅団の設立
これによりアイルランド旅団がフランス軍の重要な要素となりました。
アイルランド旅団の活躍

長期にわたる貢献
アイルランド旅団は約100年間、フランス軍の重要な要素であり続けました。

幅広い戦場での活躍
フランダース、ドイツ、イタリア、スペインでのあらゆる包囲戦や戦闘で重要な役割を果たしました。

高い評価
フランスの元帥や将軍たちが、これらの部隊の並外れた勇敢さと、あらゆる状況下での優れた行動を証言しています。
アイルランド人の軍事的貢献
フランスだけでなく、アイルランド人は大陸のあらゆる軍隊で目立つ存在でした。彼らの子孫は今でもヨーロッパ中で尊敬される名前を持っています。
アイルランド人の忠誠心の変化

1

過去の対立
かつてアイルランド人はイギリスの最も苦々しい敵でした。

2

状況の変化
幸いにも、そのような時代は過ぎ去りました。

3

忠誠心の転換
100年以上にわたり、アイルランド人の勇気と軍事能力はグレートブリテンのために使われています。
アイルランド旅団の記録
1706-1710年の記録
フランス軍のアイルランド旅団の活動記録は、J.C.オカラハンによる詳細な記述に基づいています。
スペインでの戦争の記録
スペインでの戦争の記述は、ボイヤーの「アン女王治世年代記」に記載された公式報告に基づいています。
新しい仲間の紹介
1701年6月20日、パリのリュー・デ・フォセにあるオブライエン歩兵連隊の将校たちが集まる中、連隊長が新しい仲間を紹介しました。
デズモンド・ケネディの紹介

新しい仲間
デズモンド・ケネディが新しい仲間として紹介されました。

任命の経緯
ノアイユ元帥の尽力により、国王陛下によって連隊の旗手に任命されました。

背景説明の重要性
連隊長は、家族に関する事柄について明確な理解が必要だと説明しました。
デズモンド・ケネディの家族背景
父親の逃亡
父親はリムリックの包囲戦から2年後、ジェームズ王のための新たな蜂起の陰謀に加担したため、アイルランドから逃亡しなければなりませんでした。
父親との音信不通
デズモンドは父親から一度も連絡を受けていません。
父親の運命
父親はフランスに向かい、アイルランド旅団に加わる意図があったと考えられています。
マロック・ケネディの可能性

1

第3連隊への入隊
マロック・ケネディという名前の人物が、その頃第3連隊に加わりました。

2

ブレダの戦い
数ヶ月後、ブレダの戦いで命を落としました。

3

連絡の断絶
この死が、息子が父親から手紙を受け取らなかった理由を説明しています。
デズモンドの幼少期
父親の出発時
父親がアイルランドを離れた時、デズモンドはわずか2歳でした。
連絡の難しさ
通信が困難で、息子がまだ幼かったため、マロックは息子が成長するまで手紙を書くのを延期したかもしれません。
予期せぬ結末
しかし、死が突然訪れ、連絡を取る機会を永遠に奪ってしまいました。
デズモンドの養育に関する疑問
デズモンドが父親の親族のもとで育てられなかった理由については疑問が残ります。家族が散り散りになってしまったのか、子供を安全に託せる人がいなかったのかは不明です。
ジョン・オキャロルの下での養育

予想外の選択
マロック・ケネディが、息子の後見人としてジョン・オキャロルを選んだ理由は謎です。

オキャロルの背景
ジョン・オキャロルは、王に忠実な家族の中で、王を裏切り、簒奪者を支持した数少ないアイルランド人の一人でした。

宗教の変更
オキャロルは兄の財産を相続するために宗教を変えました。
マロック・ケネディの選択の理由
1
過去の友情
かつてジョン・オキャロルがスチュアート家の大義に熱心だった頃の友情があったかもしれません。
2
秘密の情報
ケネディがオキャロルの裏切り行為に関する情報を持っていた可能性があります。
3
脅迫の可能性
その情報が明らかになれば、オキャロルは国に留まれなくなる可能性がありました。
4
影響力
これによりケネディはオキャロルに対して影響力を持っていた可能性があります。
デズモンドのキルカーガン城での生活

1

到着
デズモンドは乳母に連れられてキルカーガン城に到着しました。

2

農場での生活
オキャロルは彼を農場に送り、8歳までそこで過ごしました。

3

司祭のもとへ
その後、教区の司祭のもとに預けられ、教育を受けました。
デズモンドの成長
近隣の交流
近隣の紳士の家を訪問しました。
アウトドア活動
彼らの息子たちと射撃や漕艇、釣りを楽しみました。
教育
オキャロルは彼の生活費を支払い、教育を受けさせました。
距離を置いた関係
しかし、オキャロルは彼の存在にほとんど関心を示しませんでした。
オキャロルとデズモンドの関係
最小限の交流
オキャロルは、デズモンドに職業を選ばせるために呼び出すまで、彼とほとんど言葉を交わしませんでした。
政治的中立
オキャロルはデズモンドのジェームズ王への忠誠心を変えようとしませんでした。
贈り物
デズモンドが銃を使える年齢になると、オキャロルは彼に銃を贈りました。
オキャロルの行動の解釈
マロックへの約束
オキャロルはマロックに、息子を王党派として、そして真の教会の信者として育てると約束したのかもしれません。
罪悪感
息子の父親の忠誠心が、オキャロル自身の裏切りと背教と対照的であることが、不快だったのかもしれません。
複雑な感情
これらの理由から、オキャロルはデズモンドの姿を見るのを嫌がったのかもしれません。
デズモンド・ケネディの評価

家柄
デズモンド・ケネディは良家の出身であると認められました。

忠誠心
王に忠実な支持者の息子として認められました。

期待
連隊長は、デズモンドが良き仲間となり、快適な同僚となり、連隊の誇りとなると確信していました。
デズモンド・ケネディの外見と性格
背が高い
デズモンドは背が高く、ハンサムな若者でした。
体格がいい
肩幅が広く、非常に力強い男になることが約束されていました。
若い
16歳でした。
冷静
連隊長の言葉が仲間たちにどのような影響を与えるか、冷静に観察していました。
アイルランド人の家系への関心
デズモンドは、アイルランド人が家系や古い家族からの血統について、スコットランド人と同じかそれ以上に価値を置くことを知っていました。
デズモンドの印象

好印象
デズモンドのオープンで率直な表情、態度、物腄は、連隊長の言葉と同じくらい、彼の受け入れを容易にしました。

連隊長の質問
連隊長は2日前にデズモンドに紹介された際、彼の家族について非常に詳しく質問していました。

父親の運命
ブレダで倒れた将校が自分の父親である可能性を知ったことは、デズモンドにとってほぼ満足のいくものでした。
デズモンドの父親への思い
少年時代から、父親から連絡がないことがデズモンドにとって悲しみと苦痛の種でした。今、父親が死によって連絡を取ることを妨げられたことを知り、ある意味で安心しました。
将校たちの反応
好意的な受け入れ
将校たちはデズモンドを好意的に受け入れました。
父親の身元
彼がディロン連隊のマロック・ケネディの息子であることにほとんど疑いを持ちませんでした。
残る疑問
しかし、別れた後、マロックが息子をジョン・オキャロルのような悪名高い裏切り者の世話に託した理由について、いくらかの疑問が表明されました。
デズモンドの紹介

特別な紹介
デズモンドは特に2人の若い中尉、パトリック・オニールとフェリム・オサリバンに紹介されました。

親しい関係
彼らはデズモンドを自分たちの宿舎に連れて行きました。
アイルランドの最新情報
「アイルランドの最新情報はどうだ?没収はもう終わったのか?忠実な紳士たちの土地をすべて奪ったからな。」とオニールが尋ねました。
キルカーガン周辺の状況
土地没収
「キルカーガン周辺では、それは随分前に行われました。」とデズモンドは答えました。
継続する不満
「私の知る限り、どこでも、追放された人々や小作人、農民の間で、苦々しい感情は変わっていません。」
新しい地主への不満
「彼らはオランダ人や他のウィリアム支持者の手に渡されたことに不満を感じています。」
キルカーガンの特殊な状況
旧家族の存続
「キルカーガンでは、その不満はありませんでした。旧家族の一員がまだ主人でしたから。」
裏切りへの怒り
「しかし、彼らは主人が簒奪者の側につき、ウィリアムに気に入られるために宗教を変えたことを許せませんでした。」
オキャロルの孤立
「確かに、彼は土地からほとんど満足を得られなかったでしょう。めったに外に出ず、出る時も必ず北部から来た見知らぬ武装した召使いを2、3人連れていました。」
オキャロルの不在
「彼はしばしば数ヶ月間ダブリンに出かけていました。」
デズモンドの日常生活
釣り
「私は釣りをしました。」
射撃
「射撃を楽しみました。」
乗馬
「乗馬もしました。」
交友関係
「近隣の紳士たちの間に多くの友人がいました。」
デズモンドへの同情
「彼らは、おそらくオキャロルが私を無視していなければ、これほど親切にしてくれなかったでしょう。オキャロルの不人気が私にとっては有利に働いたのです。」
オキャロルへの感謝
任官の機会
「しかし、彼に感謝すべき理由が一つあります。彼を通じて任官の機会を得たからです。」
過去の友情
「彼は若い頃、フランスの大学でノアイユ公爵と親友だったと言いました。」
推薦状
「この友情を思い出して、ノアイユ公爵が私に任官を斡旋してくれると考えたのです。」
オキャロルの真の動機
「本当のところは、ケネディ、彼があなたを完全に手放したかったのだと思いますよ。」とオサリバンが言いました。
デズモンドの出発

オキャロルの態度
「確かにそうかもしれません。彼は私が海外に行くことに全く反対しませんでした。」

アイルランド旅団の選択
「私がイギリス軍ではなくアイルランド旅団を選んだことを当然のことと考えているようでした。」

皮肉な発言
「父が反逆者だったのだから、反逆者たちと付き合っていた私が反逆者になるのは不思議ではないと、不愉快なことを言いました。」
デズモンドの反論
教育の影響
「私は、もしイングランドの学校で教育を受け、善良なオリアリー神父ではなく他の人に育てられていたら、別の考えを持っていたかもしれないと返答しました。」
オキャロルの無関心
「彼は私の考えはどうでもいいと言いました。私から完全に手を引けることを喜んでいるようでした。」
オキャロルの最後の言葉
「少なくとも、フランスに行けば、私が反逆に巻き込まれることなく、毎日ジェームズ王の健康を祈ることができるだろうと言いました。」
オサリバンの推測
「まるであなたが反逆者に育つことを望んでいたかのようですね、ケネディ。さもなければ、あなたを司祭の世話に任せることはなかったでしょう。」とオサリバンが言いました。
オキャロルの計算
1
反乱の可能性
「もし新たな蜂起があれば、あなたがそれに加わり、完全に彼の手から離れると計算していたのかもしれません。」
2
司祭の影響
「いずれにせよ、彼があなたを農家の妻の世話から引き離し、司祭に預けたことは、私にとって満足すべきことです。」
3
教育の機会
「オリアリー神父自身がサン・トメールで教育を受けた素晴らしい人物でした。」
デズモンドの社会的地位

司祭の人気
「オリアリー神父は田舎で非常に人気がありました。」

交友関係の広がり
「彼のおかげで、私は周辺の紳士たちの家に招かれるようになりました。」

農家での生活との対比
「もし私が最初にオキャロルに置かれた農家に留まっていたら、他の小作人の息子たちとしか付き合えなかったでしょう。」